某月某日一三〇八時、ショートランド沖、日野春鎮守府。  鎮守府近海の定例対潜哨戒任務において、水底に潜んでいたカ級の魚雷が直撃。  4艦編成のうち、駆逐艦不知火が大破、航行不能。他3艦も強力な敵軍潜水艦の脅威の警戒のため進撃を中止。  簡易的な輪形へと陣形を切り替え損傷艦を保護し、無理をせず救助を求める方針とし、共通救難信号を発信。  同時刻、ごく近海にて大規模演習中の西蟲取鎮守府所属艦隊が、救難信号を受信。応答打電。  演習を即時中断し現場に急行、演習中の各駆逐隊を掃討と哨戒に配分し展開。  緊急曳航による対処を艦隊司令権限のもとその場で決定、警戒を厳としつつ、大規模修繕のため泊地へと航行を開始した。  同、一四四五時。 「すいません、これこそ不知火の落ち度です…」 「気にしなくていいのです。同じ任務で電もたくさん大破しているのです。」  苦笑いする二人。別の駆逐隊が離れて輪形の護衛につき、対潜警戒に当たるものの、ここはすでに友軍の哨戒網の中。  初夏の日差しの中、電の主機タービン音だけが、凪の海に響いていた。 「助けてもらったのはこれで二度目でしょうか。」 「不知火さんの救助任務はこれが初めてなのです。」 「いえ、確かにこの体になってからは初めてですが、遠い昔…」  遠い昔。彼女らが本当の『駆逐艦』だったころ。  北太平洋の端の端、有名な撤退作戦で名の知られた島『キスカ島』で、その戦いは起こった。  …いや、海戦というには、いささか一方的なものであったが。 「あの時も、こうやって曳航してもらいましたから。」 「…思い出したのです。」  1942年7月5日。  激務の果て、護衛任務で辿り着いた北の島。  水面下の獰猛な狼に、同僚を一瞬のうちに沈められ、自らも手の施しようがないほど傷ついたあの日。 「あの時、もし不知火がもう少し何かに気づいていれば、運命は変わったのでしょうか。」  為す術もなかったあの時。油断ではないかと疑われ、大事な司令を自刃で失いかけたあの時。  もし、何かに気づいていれば。もし、予定通りに動いていれば… 「もし、あの時、選択を間違えなければ…」 「起こってしまったことは、もう変えようがないのです。」  過去は変えられない。あの時も、今も、起こってしまったことは変えられないのだ。 「電も、たくさんの選択をして、そしてたくさんのミスをしてきたのです。  中には、大切な艦(ひと)をこの手で沈めてしまったことさえあったのです。」  演習中でさえも事故はつきまとう。満足なレーダーもなかった当時のこと、お互いの位置など正確に分かるはずもなく。  ゆえに、混乱の中衝突事故が起きたとしても、それはまた為す術もなかったことだろう。 「…今でもまだ?」 「いえ、深雪さんが着任したその日に、頑張って一番最初に会いに行ったのです。」 「ふふ、電さんは強いのですね。」 「ものすごく弱いのです。会いに行ったあの日も、11駆の皆さんの前で、1時間も泣いていたのです。」 「…ふふふっ。いえ、すいません、電さんらしいなと思いまして。」 「はい、電は、泣いてばかりなのです。」  すこしずり落ち気味の『司令』と書かれた腕章を直しながら、また苦笑いする電。その目は、何かを思い出したのか、少し潤んでいた。 「電自身が司令官になって、みんなのお手本になって、頑張らないといけないのに、泣き虫のポンコツ駆逐艦なのです。」 「そうでしょうか?」  俯きがちだった不知火の顔が、すっと上がる。  少し震える電の手を強く握る。 「悲しい時、悔しい時に素直に泣けるのは、それはむしろ強さの証だと思います。  不知火は、大切な司令の前でさえ、まだそこまでは素直になれないので、どこかまだ弱いのだと思います。」  つないだ手に込められた力に気づいて、電が振り返る。 「強い、というのは、いろんな形があると思うのです。  あの日の過ちを繰り返さないよう、自分を律して、ときには厳しい意見を言いながら頑張る姿も、一つの強さだと思うのです。  なので、不知火さんは電の憧れなのです。」  そして、笑顔。 「でも、泣きたい時、悔しい時は、何もかも司令官さんに委ねて、泣いてしまってもいいと思うのです。」  同、一七三〇時。ショートランド泊地に到着。  船渠まで無事に曳航を終えた蟲鎮艦隊は、中断した演習の再開と現れた潜水艦の撃滅のため、補給もそこそこに元来た方向へと進路をとった。  同日夜に、ショートランドのとある提督執務室で。  声を殺しながらも胸に顔をうずめ泣き続けるとある駆逐艦と、それをただ静かに撫で続ける提督の姿があったという。